一番、右のカードはクローバーのエース。
この真実を書き換えるだけの労力は、この勝負の間には作れない。
その事実に気づいたのは、涅槃ではなく、サドクだった。
彼はアカシックレコードを扱う事には長けていなかったが、涅槃よりは知っていた。
天使であるがゆえに。
しかし、労力が作れないという答えに至るまでは涅槃の洞察力が不可欠だった。
つまりサドクだけでは、慌てて答えをだしていたし。
このカードギャンブルの落とし穴にも、まったく気づけなかったのである。
ゆえに……。
その事実に気づけたのはサドクと涅槃、二人の大殊勲であった。
しかし、ここで浮かれては、足元をすくわれる。
なにせ相手は、不敗のギャンブラー、夜の国の王、ロキなのだから。
高鳴る胸を落ち着け、サドクがカードを選び、ロキの伏せカードの上に置いていく。
「ハートのキングとハートの二だ」
サドクは、まず、ハートのキングを横向きに置き、そのあとハートの二を縦に置く。
更にサドクはカードを選んで、横向きに置く。
そのカードは、ハートの三だ。
これは、サドクの心が落ち着いている証拠であった。
彼は、慎重に、かつ大胆にカードを置いて、ロキの反応を見る。
ロキは、相変わらず、読めない表情で笑っている。
ロキは不敗のギャンブラー。
まだなにかあるのか?
サドクの心が、少しずつ、ざわめきつつあった。
しかし、涅槃がサドクに言う。
大丈夫と。
彼が置いたカードを合計するとハートのマイナス十四。
ハートではないという事だ。
涅槃がうなずく。
そう。
これは涅槃が、小さな声でサドクに指示し、させた事であった。
伏せられたエースは、クローバー。
そして、サドクはハートのマイナス十四にしたのである。
つまり、親が伏せて置いたカードをなににすり替えても、マイナスは逃れない。
親は、たった一枚しか選べないがゆえに。
そして、アカシックレコードの書き換えは労力の問題でできない。
もうなにもない。
涅槃は、そう確信し、サドクに指示を出していた。
ロキは相変わらず、泰然自若とした態度を崩さず、最後の最後まで気が抜けない。
涅槃の握りしめた手の中が汗ばむ。
彼女はサドクの心がざわめき立つのを制し、自分自身の心も落ち着ける。
大丈夫。最善を尽くした。そして間違いもないと。
そして、サドクが宣言する。
「これで、終わりだ。勝負だ! ロキ!」
「グット。本当にこれで終わりでいいのか? サドク? 涅槃?」
ロキが二人の名を呼ぶ。
自分たちの名前が、ロキの口から出たのに驚く二人。
本当に……本当に、これで大丈夫なのかと、サドクが涅槃に改めて確認する。
涅槃は、そんな彼の心を落ち着かせ、深呼吸して自分も落ち着く。
大丈夫。
もうロキの手の中には、駒は残っていない。
ロキが、今更、なにをしようが、私たちは絶対に、この勝負に勝つのと。
自分で自分を鼓舞する事は難しい。
しかし彼女は、懸命に自分自身を鼓舞していた。
気圧されたら負けだと。
大丈夫。
そんな懸命な涅槃を見て、サドク自身の心は強く、固まった。
この勝負で負けても誰も恨まねぇと。
「オッケーだぜ! 俺たちのターンは終了だ!」
サドクは、ありったけの大声で宣言した。
敢えて、懸命な涅槃を勇気づけるように出し切る声も残らないほどに。
ロキが笑う。
「あははは。なるほどな」
ロキの思わぬ答えに心臓が飛び出すほどビックリするサドク。
涅槃も目をキュッと閉じて、祈っている。
現実主義である彼女が。
「俺の負けだぜ。不敗は終わったな。でも、それでいい」
ロキは、そういつつ、笑いを止めず、エースのカードを表する為にめくった。
彼がめくったカード、そこには、クローバーのエースがあった。
そう。
クローバーのエースだったのだ。
サドクが、目を見張り、ふぅっと大きなため息をつく。
涅槃は、いまだに固く目を閉じたまま、ブツブツと祈っている。
ふふふと笑うサドク。
「勝負の結果はどうなったの? 私たち勝ったよね?」
涅槃が、おそるおそるサドクにたずねる。
しかし、サドクは涅槃の問いには答えず、代わりに自分で確認しろと言った。
ゆっくりと目を開ける涅槃。
「勝った……」
涅槃は腰が砕けたように、その場にへたり込んでしまった。
いくら自分自身で自分を鼓舞しようにも、それには限界があったのだ。
あはははと乾いた笑いを浮かべる涅槃。
「お前ら、本当に面白いぜ!」
しかしロキは最後までロキだった。
不敗の伝説が終わりになっても、負けてもロキであった。
彼は、自分の負けを素直に認め、そして次の勝負の算段に入っていたのだ。
このギャンブルに対する真摯な態度が不敗伝説を作ったのであろう。
「今回は俺の負けだ。しかし、次はそうないかないぜ?」
「次? ちょっと待てよ。ロキ」
サドクが、口を尖らせロキに抗議するように答える。
涅槃は、いまだへたり込んでいる。
奇跡は二度起こらない。
つまり彼は、もう二度とロキに勝てるチャンスはないような気がしていた。
「この勝負にはすべてを賭けていたんだろ? だったら終わりじゃねぇのかよ?」
「フッ。確かにな。だが、これから先は俺のお愉しみタイムだ」
「つうか。お愉しみタイムってなんだよ。勘弁してくれ。もう勝てねぇて」
「むぅ。そうか。残念だ」
サドクの言う事はもっともだった。
全力の上に全力を重ね、更に運も味方にし、やっと起こした奇跡だったのだ。
もう二度と二人の上には降りてこないと思われる奇跡なのだ。
さすがの豪放磊落なサドクであっても、弱音を吐かざるを得なかった。
ロキは、残念そうに二人を見つめる。
しかし、では、ロキはなぜ最後に彼らの名前を呼んだのだろう。
サドク、涅槃と。
「お前が、俺たちの名前を呼んだ時、終ったって思ったぜ」
「ああ。あれな。あれは、俺がお前たちを認めたんだ。同等に戦えるヤツらだとな」
「なんだよ。そういう事かよ。心臓に悪りぃぜ」
「あははは。すまん。すまん」
「コイツ、本当に分かってるのか。信じられねぇぜ。ちくしょう」
涅槃も、やっと勝利の実感を得たのだろう。
サドクとロキの会話に交ざる。
よかったと。
「もう二度とギャンブルはこりごりだわ。たとえ相手が誰であろうとね」
「連れねぇ事いうなよ。やっと同等に渡り合えるヤツらに出会えたっていうのに」
「無理。もうヤダ。心臓に悪い」
ロキは、ずっと笑ったまま、二人を見つめていた。
夜の国の王は、二人を認め、そして彼女が人間界の王である事を痛感していたのだ。
そしてイタズラっぽい顔をして言う。
「で、相談なんだが」
「なんだよ?」
サドクが、疲れ果てた顔で答える。
ロキは、ますます面白そうな顔をして彼らに言う。
からかうように。
「負けたままは、な。もう一勝負、やらねぇか。なんでも望みのモノをやるぜ?」
「だから、嫌だって言ってんでしょうが」
「そうだ。そうだ」
サドクと涅槃は、きっぱり断る。
もうこれ以上、博打という地獄をさ迷うのはごめんだと。
これはロキに読めていた。しかし、ここで敢えて彼は冗談半分で言ったのだ。
半分は冗談、半分は本気だった。
彼らに勝負師としての素質があるのか、はかったのだ。
ここで勝ち馬に乗り、浮かれたまま勝負をするのは勝負師として失格だ。
自分たちの力量を知り、勝てない相手とは打たない。
これは重要な事だった。
そしてなにより、今、勝ったのが奇跡と認識しているかどうか。
ロキは、二人のそれを改めて、はかったのだ。
すなわち神託である創世を成せる人物であるかどうかの条件をはかったのだ。
ロキの目の奥には二人の未来が映っていた。
創世を成す二人の未来が。
「グット。俺は賭けるぜ。全存在を。お前らが創世を成す方にな」
ロキは、中指と親指をこすり合わせ、パチンと音を立てた。
これは彼が勝ちを確信した勝負開始の合図だった。
しかし……。
「だからギャンブルは、もうゴメンだって」
「絶対に嫌だ」
二人は、口を揃えて抗議をした。
「あははは。ま、これは俺の趣味だから気にするな。お前らは解放するからよ」
とロキが言った。
そう。たった今、ロキが始めたギャンブルは、相手のいないギャンブルだった。
しかし、二人は、この上ないほど不満そうな顔をしていた。
ギャンブルなんて絶対に嫌だよと。
~ その三十九、奇跡、了。
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